オペラ18号
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帰りたい人にも、帰りたくない人にも、ともに最大限の支援が必要――あれから2年半が経とうとしていますが……。鎌田 あれだけ大きな災害を経験したわけだから、長期的な支援が必要なのに、できていない。仮設は2年間と言っていたのだから、せめて「半年後にはこうなります」と具体的に示すのが国と県の役割なのに、それもできていない。いつになったら公営住宅に移れるのか希望が見えないから、ものすごく無理をして土地と家を買って仮設を出ていく人がポツポツ出だしている。すると、残された人たちは、自分だけ取り残されてしまうのではないかと感じてすごく悲しいし、出ていく人もみんなを裏切ったのではないかと申し訳ない思いでいます。希望が見えない、ゴールが見えないのです。「絆」という良い言葉が流行って、期待を持たせた分だけ、東北の人たちは「私たちのことを忘れないで」と言いたいけど、それを自分の中にしまいこんで、じっと耐えているように感じます。遠藤 安全のレベルを高めることを考えないで経済優先でやってきた結果、原発事故が起こってしまいました。福島県の浜通りの人たちは、その犠牲者です。だけど、政権が変わました。だから、犠牲者を置き去りにしたまま、また経済優先の社会が始まっていくのではないか、と危惧しています。国や県の対策は、「とにかく被災 辛い仮設住宅での生活に耐えざるを前に住んでいた家に帰りなさい。ほかの所で暮すのなら、自分でなんとかしなさい」です。本当は、「帰れそうな人、帰りたい人」にも、「帰れない人、帰りたくない人」にも、2年以上も住んでいなかった家は、ネズミがいっぱいいて、イノシシなどの動物も入って荒れ放題です。その家を改築して住めるようにするには、かなりお金がかかります。ほかの所で新しい生活を始めるのも大変です。本当の希望ではなく、「どちらがより悪いか」という条件での選択なのです。両方に支援が必要なのです。それがないから、多くの人がえないのです。鎌田 その人によく説明をしてあげて、救命できるよう最高の医療をして、それでも再発してしまっても見捨てないで、その人に寄り添うようにしています。イラクの戦場で傷ついた子供たちを診ていて、国境なき医師団などが去ったあと、人々の生活を持続させるのがどれほど大変なのかということも肌で感じました。今回の僕は、癌が見つかったとき、Photo.関大介左・遠藤清次さん(絆診療所院長)右・鎌田實さん(諏訪中央病院名誉院長)最って大も限、のま支た援経が済求、め経ら済れとて言いいま出すし。JAPANESE ASSOCIATION OF OCCUPATIONAL THERAPISTS 10東日本大震災から2年半になろうとする8月30日、遠藤清次さんが院長を務める絆診療所で、鎌田實さんが「仮設で心と体を守る方法教えます」と題する講演をした。講演のあとには、「鎌田先生レシピ」の試食会も行われた。この機会に、おふたりに被災地支援のあり方を中心に語り合っていただいた。なお、遠藤清次さんは本誌17号に、鎌田實さんは16号に、それぞれ登場していただいた。ぜひ、16号、17号と合わせてお読みください。被災地支援長期のリリーフをつないでいく
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