パリ2024パラリンピック競技大会 出場・同行報告
この記事は、機関誌152号(2024年11月15日発行)のTOPICSのWeb版です
2024年8月28日から9月8日の12日間、フランスでパリ2024パラリンピック競技大会が開催されました。多数の本会会員が、選手を支える立場でパラリンピックにかかわっています。そして今大会では、作業療法士としても活躍しながら選手として出場した会員もいます。パリ大会への出場を目標に長年練習を重ねてきた松本武尊選手(陸上)、パラローイング選手を支えてきたトレーナーの三木孝太氏にパリ大会に出場・同行のご報告をいただきました。 |
パリパラリンピックに出場して
~パラリンピックの今とこれから~
フランス入り
フランスで開催されたパリパラリンピックは2024年8月28日に開幕し、2024年9月8日に閉幕を迎えました。陸上競技に日本代表として出場したため、報告します。
陸上競技日本代表としてのフランスへの渡航期間は、8月20日~9月11日でした。8月20日~25日まではフランス・アミアン市で事前合宿を行いました。アミアン市からの歓迎を受け、アミアン市のホテルに泊まりました。ホテルからバスで約10分のところに陸上競技場が位置しており、移動は楽でした。気候も良く、日本のジメジメとした暑さは感じられません。午前中の早い時間帯や夕方などは肌寒く感じることもあり、防寒対策も重要だったと思いました。食事では昼食・夜食で白米が提供され、アスリートに大切な塩分調整もされていました。
そして、8月25日~9月10日はいよいよ選手村で過ごします。選手村には、選手が居住する居住棟、ダイニングホール、フィットネスセンター、美容室、ネイルサロン等の施設が揃っていました。必要とするものがすぐ手に入る環境が整えられていて、競技に集中できるのですごくありがたかったです。
今回のパリパラリンピックには全世界から約4,400人の選手が参加することになりました。日本は陸上競技選手・水泳選手・卓球選手等、合計約170名の選手で臨むことになります。選手以外にも、競技パートナーや競技別スタッフ、本部スタッフが配置されており、選手が最高のパフォーマンスができるようサポートしてくれる方々が多くいました。
写真1 選手村外で食べた最初で最後の食事
私の参加競技
陸上競技はスタッド・ド・フランスというフランス国内最大級の競技場で開催されました。すごく大きな競技場だということを感じつつも、もう一つ驚いたことがありました。それは陸上トラックの色が紫色だったことです。日本ではブルータータン(編注:タータンとは、陸上競技で用いられるゴム製のトラックのこと)が使用されてきていますが、紫色のタータンは初めて見るものでした。
初めての紫のタータンを走ったパリパラリンピック陸上T36 400m。「T36」という言葉に馴染みがない方も多いと思います。パラ陸上には障害に応じた「クラス」が存在しており、そのクラスに応じて選手同士が競い合っていくことになります。例にあげると、T36の「T」の部分は競技場所を意味します。トラック競技の「T」です。ほかにも、フィールド競技の「F」もあります。そして、「36」は脳原性麻痺の分類です。30番台が脳原性麻痺のカテゴリーで、35~38が立位で競技をする脳原性麻痺です。35~38の違いは障害の程度で、数字が大きくなるにつれて障害が軽い判定となります。このようなクラス分けは国際的に認められた国際クラシファイアーという方たちが行うものであり、クラス分けを行うための必要な知識・技術をもち、資格を取得しています。選手を適切にクラス分けすることで個々の障害が競技に及ぼす影響をできるだけ小さくし、平等に競い合うことができるようになるというわけです。
写真2 普段の練習場所
綿密な戦略で臨む400m
それでは今回の400mとユニバーサルリレーの戦略を報告します。400mでは、今大会に出場するであろう各選手の400m自己ベスト・シーズンベストを調べました。そして、メダル圏内になるであろうタイムを推測しました。そのタイムとは54”5です。
このタイムを基準に、0~100m、100~200m、200~300m、300~400mと100mごとに区間のペースを考えました。400mをすべて同じスピードで走ることは不可能に近いのです。単に4等分するのではなく、100m間隔でスピードを設定していくことが大事になってくると考えています。今大会の400mでは、100mの自己ベスト12”1を基に、0~100mを13秒、100~200mを12.5秒、200~300mを13.5秒、300~400mを15.5秒、合計54”5で設定しました。54”5は自己ベストよりも速いタイムですが、これまでがむしゃらに走っていたことを考えると不可能ではないなと考えました。0~100mまでにいかに楽にスピードを上げられるか、100~200mでこれまでのスピードを落とさず楽に維持できるか――前半部分では楽に走ることを念頭に置いていました。そのため、フランス滞在中は200mの練習を重点的に行いました。レース本番を見据えて楽に200mを走ることを意識して、反復練習し、身体に覚え込ませていくようにしました。
このように練りに練った作戦でしたが、今レースは4位という結果に終わりました。3位との差は0.03秒。すごく悔しい結果になりました。分析結果によると、各区間では設定タイム通りの走りになっていました。では、何が原因で今回の結果になったのか。1つ目に、パラリンピックという大舞台に向けて選手一人ひとりが実力を伸ばしており、これを想定することが難しかったこと。2つ目に、200~300mにかけての区間ペースに問題があったこと。改善策としては2点考えられます。1つ目に、100mの疾走タイムを向上させ、各区間の設定タイムを変更すること。2つ目に、400mを4区間に分けるのではなく、3区間に分けることです。1区間目を0~100m、2区間目を100m~250m、3区間目を250~400mにします。前述したように200m~300mにかけてに問題があったとするならばこのように分けることが最善の策なのではないかと思いました。
好走するも高い世界の壁
次にユニバーサルリレーです。まずは競技について紹介します。このリレーでは、男性選手2名と女性選手2名が走ります。1走が視覚障害、2走が切断等の機能障害、3走が脳性麻痺、4走が車椅子の走順で、1チームに障害の軽いカテゴリーの選手が2名までという決まりがあります。今大会では筆者は3走を任され、チームの皆がメダル獲得を目指してレースに臨みました。
予選ではこれまでにない良い走りとなり、日本記録を出すなど、東京パラリンピック以前に目標としていたタイムに近付けることができる好感触なレースでした。団体種目であるリレーにおける日本チームは各国の選手に個人の走力で勝てないため、走者と走者をつなぐタッチワークの技術で世界と戦おうという作戦です。これまでに多くの合宿をし、レースのたびに分析・反省を積み重ね、タッチワークに磨きをかけました。しかし、決勝では4位。ここまでの練習でも結果が伴わなかったというのは、各国もタッチワークに磨きをかけてきた証拠ではないかと思います。この先もユニバーサルリレーではタッチワークだけではなく、個々の走力が必要になります。今後の課題が明白になったと考えています。
パラスポーツの未来を思う
今大会では2名の視覚障害者と同部屋だったこともあり、パラスポーツについての多くの課題を実感することになりました。視覚障害者、特に全盲の視覚障害者がスポーツをするという壁は相当高いということです。視覚障害等がある選手がスポーツをするにあたっては、ガイドが必要になります。しかし、ガイドが圧倒的に足りていません。そもそもガイドの認知度が低いということもありますが、やはり人件費の問題も見過ごせないと考えます。ガイドランナーはガイドをするだけで生計を立てることは難しいので、ほかに仕事をもっている人が多いです。もしガイドをする選手が海外に遠征するとなれば、ガイドランナーはほかの仕事を休職して自分も同行しないといけません。そして、ガイドの人手不足を解消するには、前提としてパラスポーツの選手人口自体が増えなければならないでしょう。
パリパラリンピックでは若い選手が増え、パラスポーツの世代交代を感じることができました。しかし、4年後、さらに8年後にも同じような世代交代が起きるのかは疑問です。医療の発達に伴い、障害のある人が少なくなる現状にあるとも聞きます。医療で障害を克服できるようになること自体は望ましいことですが、それでも障害がなくなることはなく、パラスポーツは必要であり続けます。今後はパラスポーツの普及とパラアスリートの強化の仕方がより重要になってくると考えています。
(季美の森リハビリテーション病院 松本 武尊)
【松本武尊選手プロフィール】
中学・高校で陸上部に所属し、短距離選手として活躍。高校2年の時、病気の後遺症で麻痺が残り、一時競技から離脱しましたが、1年後、T36クラスの選手として復帰しました。パラ陸上転向直後から100mと200mで日本記録を更新。2021年には400mでも日本記録を更新して、東京2020パラリンピックに出場し、400m(T36)7位、100m(T36)10位の成績を収めました。また、800mの日本記録に続いて、翌年には400mでアジア記録も更新しました。
トレーナーとして、作業療法士として
TOKYOからPARISへ
東京2020パラリンピック競技大会(以下、東京大会)に続き、パリ2024パラリンピック競技大会(以下、パリ大会)日本代表選手団に選出され、ローイング競技のトレーナーとして参加しました。
今大会は、東京大会がCOVID-19の影響で1年延期になったことで、史上初の3年間隔での開幕となりました。COVID-19により東京大会はすべて無観客となり、開会式やレースは歓声がなく、空席が目立つなかで行われましたが、パリ大会は有観客で開催されました。特に無観客と有観客の差を感じた場面は開会式でした。パラリンピックでは、シャンゼリゼ通りをコンコルド広場に向かって行進し、最大6万5千人を見込む観客の歓声が会場全体に響き渡りました。
ローイング競技は、東京大会ではPR3混合舵手つきフォア、PR1女子シングルスカルの2種目、計5人の選手が出場しました。自国開催を終えて競技を引退する選手が多いなか、パリ大会を目標に新たにローイング競技を始める選手もおり、今大会に出場した選手もその1人でした。2024年4月に韓国で行われたアジア・オセアニア大陸予選にて繰り上げ優勝を果たし、念願だったパリ大会の出場権を獲得しました。パラリンピックでは、日本ローイング競技史上初のPR1男子シングルスカル種目の出場となりました。
選手村の様子
選手村のなかでは、さまざまな施設を利用できました。洗濯では各所にランドリーサービスが設置されており、乾燥された状態で返却されるため洗濯に不便はありませんでした。食事では、オリンピック開催時に「長蛇の列で食事がとれない」「お肉が食べられない」と話題になっていましたが、パラリンピックは参加人数が少ないからか、最後まで食事に困ることはありませんでした。食事内容はWORLD、ASIAN、FRENCH、HALALと各エリアに分かれており、さまざまな食事を味わうことができました。このほかにも、ポリクリニック、フィットネスセンター、Ottobock修理センター等、競技を行ううえでとても重要な役割をもった施設もありました。特にOttobock修理センターは、日常用・競技用の車椅子や義肢のメンテナンスを行っていたため、各国多くの選手が利用していました。このような施設がある一方で、ゲームセンター、雑貨店、ヘアサロン、サウナ等、心身のリラックスを目的とした場所も多く、賑わいを見せていたことがとても印象的でした。
写真3 選手村居室
競技場の様子
ローイング競技の競技場は、選手村から約40km離れた場所に位置しているヴェール・シュル・マルヌ・ナティカル・スタジアム。移動用バスはオリンピック・パラリンピック専用レーンが設置され、選手や大会関係者の競技場へのアクセスが効率化されており、片道1時間で移動可能でした。車椅子のまま乗車できるようにバリアフリー化されていたため問題なく乗車できましたが、セキュリティーの観点から窓が締め切られており、満員、かつ炎天下の車内は苦痛でした。
競技場内には各国に対して専用の小部屋が用意され、シャワーやトイレを自由に使用することができました。スロープや手すりが常設されており、車椅子でも利用が可能なように設計されていました。また、レース初日から、観客席裏側にはショップやカフェの出店があり、観客への配慮もうかがえました。
決勝では観客席は満員。各国の国旗が掲げられ、互いを尊重し応援し合う観客の姿に感銘を受けました。昨今の世界情勢は混迷を極めていますが、このような情景を目の当たりにできるのは、オリンピック・パラリンピックだからこそだと感じます。
トレーナーの活動内容について
人数配置の関係上、ローイング競技の選手は2人部屋を1人で使用することができました。しかし、ベッド等の配置により、車椅子で通れるスペースが確保されておらず、生活が困難な状況でした。対策として、初めに選手と生活スペースや車椅子導線について話し合いを行い、希望を聴取しました。ほかにも、ベッドやラック等の方向・位置、スーツケースを広げる位置等、具体的な部屋での過ごし方のイメージを共有し、それをもとに車椅子移動時の動線を考えて再配置を行いました。トイレはスペースが確保してあり、手すりが設置されていたため問題なく使用できました。また、入浴はシャワーチェアが用意されていたものの、シャワーヘッドの位置が高く、可動式ではないため下方へ移動させる必要がありました。
パラスポーツ選手は遠征のたびに自宅とは異なる環境で日常生活を送るため、いかにストレスなく日常生活を過ごし、競技への集中を高められるのかを考える必要があります。これらの視点は競技パフォーマンス向上にかかわる大きな要因の一つでもあるため、コンディショニングとして必ず実施をしています。
入村から事前練習が開始されるまでの間、7時間の時差を調整する必要がありました。基本的には食事や起床・就寝の時間を一定にしますが、体内時計の調整ができるように日中の外出を促し、陽の光の下で活動するように心がけました。
その後は、選手のパフォーマンスを最大限に引き出すため、村外拠点を利用しながらトレーニングやコンディショニングを行いました。村外拠点にはトレーニング機器、物理療法機器、セルフコンディショニング機器が揃い、スタッフも在住しているほか、衣食に関するサポートも多く、包括的なサポートが受けられる環境であったため利用しました。
競技場では、ローイングエルゴメーターによるウォームアップができず、水上でのウォームアップが基本と考えていましが、気温の変化や競技の時間帯を考慮した結果、陸上でのウォームアップは不可欠であったためチューブを用いたメニューを考案し実施しました。予選から決勝までの3日間レースが続くため、翌日に疲労を持ち越さないように、レース後は物理療法機器を駆使しながら心身のケアに努めました。また、常に監督やコーチと身体状況、心理状況を共有することで、多方面からサポートができるように心掛けていました。結果として、ローイング競技史上初のパラリンピック8位入賞を果たし、パリ大会を終えることができました。
写真4 ローイング競技8位入賞の記念に
(写真左から佐原英行監督、森卓也選手、筆者)
パラリンピックを通して
日本パラリンピック委員会はパラリンピックの意義として、多様性を認め、誰もが個性や能力を発揮し活躍できる公正な機会が与えられている場であり、共生社会を具現化するための重要なヒントが詰まっている大会であると示しています。
作業療法士として「共生社会」という言葉はよく耳にするものの、実際にどのような状況を指すものかイメージが湧いておらず、具現化する方法が見つからずにいました。しかし、パラリンピックを経験するなかで、選手村こそが共生社会を具現化していることに気づかされ、障害の有無にかかわらず互いに助け合い、心にバリアを感じずに生活している姿は、我々作業療法士が目指すべき社会像であると感じました。
2028年にはロサンゼルス、2032年にはブリスベンにてパラリンピックが開催されます。目標であるメダル獲得を果たすため競技力向上に尽力しますが、スポーツの本質は障害を超えた人間の尊厳と挑戦です。これからもパラリンピックが一層注目され、社会により多くの理解と共感が広がることを願っています。
(公益社団法人日本ローイング協会・日本パラスポーツ協会公認パラスポーツトレーナー 三木 孝太)