「共感的な理解」には、認知症の方を笑顔にする力がある (1/4)
認知症の方とご家族の支援をしている作業療法士2人のインタビューをお届けします。
1人目は森ノ宮医療大学の松下太さんです。
松下さんは自らの経験を通して、認知症の方のサポートには「共感的な理解」が重要だと言います。
それはなぜなのでしょうか?また「共感的な理解」にはどのような力があるのでしょうか?
森ノ宮医療大学 松下太さん
1回目 なぜ、「共感的な理解」が必要なのか?
私は、作業療法士として、認知症の方のサポート、そして、そのご家族のサポートもさせていただいています。
認知症の方がご自宅で生活を続けていくにはご家族の協力が不可欠です。そのご家族の方を支援することも、作業療法士としての役割です。
作業療法士の得意分野は「その方ができること」や「支援があればできること」を探し見つかった「できること」を実際に行えるようサポートしたり環境を整えたりすることです。このような一連の支援は、私たちだけで行うのではなく、ご家族の方と協力しながら進めます。その理由は、認知症の方がどのような人生を送ってこられたか、また、ご本人の性格や価値観を一番よく知っているのはご家族の方だからです。それに加えて、私たちが支援できる範囲や期間には限りがあるからです。そのため、ご家族と一緒に支援させていただくことで、ご家族の負担を少しでも減らすと同時に、私たちが支援できる期間が終わった後も認知症の方にとってよりよい支援が続くことを目指しています。
そのために、ご家族の方には、「認知症の方に、どのように接すればよいか」「どのような声かけや支援が必要か」という、いわゆるノウハウ的なことを伝えるだけでなく、認知症という病気について理解を深めていただくためにお話をすることもあります。
それに加えて、個人的には、できるだけ共感的な理解や、寄り添うことの大切さを伝えていきたいと思っています。
ここ数年、認知症の方がご自身の体験について発言する機会が増えています。今までは「認知症になった人は、自分が病気だという自覚がない」と言われていたのですが、当事者の方の発信によって、実際には、「ある程度は自覚されている」とわかってきました。物忘れがひどくなったことや、失敗してしまったことをある程度自覚していたとしても、「自分は病気かもしれない」と認めにくいし、不安な気持ちを言葉にしづらい雰囲気が私たちの社会にはあります。そのため、ほんとうは不安を抱えているのに、そのことを認めたくないし、認められないという葛藤の中におられることが、当事者の方の発信を通してわかってきました。
認知症の方には記憶障害があるため、自分が失敗したことさえも、しばらくすると忘れていきます。しかし失敗した瞬間には、その場の状況をある程度把握できていて、実はものすごく傷ついているのかもしれません。そして、「自分は、おかしくなっていくのでは?」という不安を抱えているのかもしれません。
実際に初期の認知症では、鬱の症状がみられることがあります。その背景には、認知機能が低下していることをある程度わかっているものの、そのことを認められないという葛藤の中にいるため、精神的に落ち込んだり、強いストレスを感じたりしていることがあるのではないでしょうか。
認知症の方が、「自分の状態についてある程度自覚している」とわかってきたことで、最近では「認知症の方の自尊心を傷つける対応はしない方がよい」と言われるようになっています。そのためにも、認知症の方と接するときには、できる限り共感的な理解を心がけることが大切だと思います。私自身、認知症の方と接するときには、共感的な理解を心がけています。
そうはいっても、認知症の方をサポートされているご家族自身にも、心理的な負担や葛藤があると思います。そのため、認知症の方に対して「共感的な理解」をすることは難しい場合も多いのではないかと思います。
そこで私は、特に初期の認知症の方の介護をされているご家族の方に対して、同じように認知症の方の介護をされている方が集まる「家族会」への参加をお勧めしています。
同じ立場で介護をされている方のお話は、私たちのような医療スタッフの言葉よりも腑に落ちやすいし、理解も進みやすいと感じます。
実際に介護をされている方の話を聞くと、「ああ、そういうことか」「うちの母親も同じかもしれない」というような気づきがあると思います。また同じ境遇の方が集まる場であれば、ご自身の悩みや苦しさも言葉にしやすいでしょうし、経験に基づいたアドバイスをもらえるはずです。
何よりも、心にためていた思いを言葉にすることができれば、それだけで悩みやストレスが少し軽くなると思います。
次回は7月30日に公開します