認知症の方への作業療法

認知症の方の「困りごと」解決のための3つのステップ(3/4)

認知症の方とご家族の支援をしている作業療法士のインタビュー、山口智晴さん(群馬医療福祉大学)の3回目です。
認知症の方の「困りごと」を明らかにした、その次のステップは。

Step2 「困りごと」の背景にどのような因子があるかを分析する


具体的にどのように分析を進めているのかをお伝えするため、実際の事例を紹介したいと思います。ただし、初期支援チームの活動は前橋市の事業として行っているため、個別の事例をそのままお伝えすることはできません。そこで、複数の事例をミックスしたうえで、さらにフィクション化したものをお伝えします。


一人暮らしの在宅生活に限界を感じ初期支援チームにサポートを依頼

Yさん(80歳代)は2年前にご主人と死別。その後は一人暮らしをしています。隣町に住む息子さんが、自宅に引きこもりがちになったYさんの身体の衰えと、物忘れが増えたことを心配して地域包括支援センターに相談した結果、デイサービスを利用することになりました。
Yさんは、最初は楽しそうにデイサービスに参加していました。しかし、次第に、デイサービスの利用中に探し物をする回数が増え、財布が見つからず「財布を盗まれた!」という発言も聞かれるようになりました。また、デイサービスの予定確認や「通帳がない。どうしよう!」という電話が息子さんの自宅に何度もかかってくるようになりました。そしてついにYさんは、「デイサービスには行かない」と言うようになってしまったのです。息子さん夫婦は、Yさんにどうかかわれば良いかわからなくなり、一人暮らしの在宅生活を続けることに限界を感じるようになりました。そんなときに息子さんは初期支援チームの存在を知り、サポートの依頼が入ったのです。


「間違えないようにしないと」という焦りや不安

最初にYさんに会ったときのことです。「忘れっぽさはありませんか?」とYさんに質問すると、「そんなことはありません」と取り繕う様子でした。そこで、高齢者の方は忘れっぽさがあるのは自然であることや、今では認知症もごく普通の病気になっていることを伝えました。その上で、「こういう場面で困っていませんか?」と具体的に質問していくと、Yさんは「自分が忘れっぽくなった」と自覚していることがわかりました。その一方で、Yさんの口から「財布を盗られた」という話は出ませんでした。認知症の症状の一つである「盗害妄想(実際には盗まれていないのに盗まれたと思い込んでしまうこと)」の傾向は見られないことがわかりました。
また、会話を続けるうちに、Yさんの受け答えから近時記憶(最近の記憶)が低下していること、「間違えないようにしないと」「忘れないようにしないと」という焦りや不安が強いことがわかってきました。


「困りごと」の背景には、真面目できっちりした性格があった

さらに、過去のエピソードについて話を聞いていくと、Yさんは真面目でキッチリした性格だとわかりました。ご両親から厳しくしつけられたこともあり、「約束の時間より早めに到着して相手を待たせない」「忘れ物をして相手に迷惑をかけないように、前日に持ち物を準備する」。そういったことを、確実に実践されてきた方だったのです。
それにもかかわらず認知症による“見当識(けんとうしき)障害”のため、Yさんは今日の日付けや曜日がわからなくなり、「デイサービスの準備を忘れてしまったら大変!」という焦りから、息子さんに何度も電話をしていたことがわかりました。また“注意機能の低下”のため、無意識に物を置いてしまうと、置いてしまった物を探し出すのも一苦労ですし、明日の準備に時間がかかるだけでなく、そこから混乱も生じていたのです。
さらに、「通帳がない」という電話が何度もかかってくる理由もわかってきました。デイサービスの利用料金は口座引き落としになっているのに、Yさんは「利用料金を支払わなくてはいけない」と思い込み、お金を下ろすために通帳を探していたのです。しかし、通帳が見つからないこともあり、デイサービスの利用を控えていたこともわかりました。


「問題行動」と思われる行動は、奥ゆかしい配慮から起きていた

このようにYさんの「困りごと」だけでなく、ご本人がどのような育ち方をされ、何を大切にされてきたかが見えてきました。その結果、Yさんがデイサービスに行かなくなったことや、息子さんの自宅に何度も電話をかけたことの背景には、Yさんのお人柄ゆえの奥ゆかしい配慮があることがわかりました。
もしも、Yさんがデイサービス利用中に「お財布を盗られた」と言ったことを“盗害妄想”と捉え、息子さんに何度も電話することを“動作の繰り返し・不穏”、「デイサービスに行きたくない」という発言を“介護拒否”と捉えたら、それらはすべて「問題行動」ということになってしまいます。そして、もしも、Yさんの問題行動を改善させることを目的に対応をしていたら、Yさんの言動はさらに落ち着かないものになっていたと思います。


骨折のような身体機能の障害とは違い、認知機能の障害は見えにくい

このような分析を行ううえで、Yさんやご家族の「困りごと」を知ること、そして、Yさんの人柄や性格、これまでの人生で大切にされてきたことなどを知ることは重要です。しかし、同時に、認知症がどのような病気か理解することも重要なのです。
なぜなら、「認知機能」は目に見えにくいからです。たとえば足を骨折した方であれば、その方の「困りごと」を推測することは、それほど難しくありません。一方、認知機能は目に見えにくいので、その方の「困りごと」を推測するには、認知症によって、どのような障害が起こるのかを理解していることが不可欠です。


“今”と“ここ”が不明確になることで「困りごと」が生まれる

たとえば、Yさんが息子さんに何度も電話をした理由について、「見当識(けんとうしき)障害のため、Yさんは今日の日付けや曜日がわからなくなった」と説明しました。
見当識障害とは、「見当識」に障害が起こることです。では、見当識とは、どういう能力なのでしょうか? 私たちは、“今”という時間、そして、“ここ”という場所について、深く考えなくても把握することができます。これが見当識です。もう少し詳しく説明すると、今日が何月何日で何曜日か、そして、自分がどこにいるかを把握していることです。
このうち、時間に関する見当識の意味について考えてみましょう。“今”という感覚がはっきりしているので、昨日のことと明日のことを混同することがありません。過去のことを振り返ったり、将来の予定について考えたりすることができるのです。一方、認知症による見当識障害で“今”が不明確になると、今日が何日なのかわからなくなるだけでなく、過去から未来への時間の流れも分かりにくくなります。時間に関する見当識が正常に働いている私たちにとっては、想像することが難しい状態ですが、認知症の人はその状態で生活を送っている場合があるのです。時間の感覚は、私たちが社会生活を送る上で基本となる能力です。過去から現在、そして未来への時間の流れがつながっているからこそ、私たちは安心して生活できます。認知症の人はそれが苦手になるため、さまざまな「困りごと」を抱えることになるのです。


認知機能の基盤がゆらぐ「注意機能の低下」とは?

次に、Yさんが、デイサービスの準備をすることが難しくなった理由として、“注意機能の低下”をあげました。この“注意機能”とは、私たちの五感が捉えた情報から、ある情報をピックアップするはたらきのことです。この機能が重要なのは、私たちの五感は膨大な情報を受け取っている一方で、脳が処理できる情報の量には限界があるからです。そのため、脳は情報を取捨選択して処理しています。言い換えると、大量の情報の一部を整理してピックアップし、その情報だけを処理しているわけです。このピックアップする機能が“注意機能”と呼ばれています。私たちは、“注意機能”によってピックアップされた情報を認知しているわけで、“注意機能”は、あらゆる認知機能の基礎となる重要な能力だと言えます。その重要な能力が、認知症では低下してしまうのです。だから、物の整理が苦手になり、探し物が増え、デイサービスの準備にも手間取ってしまうようになります。そして、にぎやかな環境では、とても疲れやすくなってしまうのです。


認知症の人の「苦手」を知ることでお互い穏やかに過ごせる

そのほかにも、認知症のうち、特にアルツハイマー型認知症では、近時記憶(最近の出来事に関する記憶)や、作業記憶(複数の作業を並行するとき、各作業のどこまで行ったかなどを記憶すること)、注意機能が苦手になります。こうしたことを理解できれば、具体的な工夫が可能になるはずです。たとえば、何か伝えたいことがあるときには、何度も言うのではなく、メモに書いて本人が見やすい場所に貼る。探し物が増えたら、部屋を整理してシンプルにする。曜日や日時がわからなくなることがあるなら、「日付表示機能付き電波時計(デジタル日めくりカレンダー)」を設置するといった工夫ができます。
認知症の介護の指針として、「優しく接しましょう」「怒らないようにしましょう」と言われることがあります。たしかに、これらは正しい内容です。でも、一つ屋根の下で暮らしていると、優しく心穏やかに接することが難しいときもあると思います。だからこそ、認知症の人はどのようなことが苦手なのかを理解して、苦手なところを補う方法を考えることで、喧嘩の回数を減らすこともできるはずです。足を骨折している人に「急いで走って!」と言ったり、子供に「ATMでお金をおろしてきて!」と言ったりしないと思います。それが本人にとって難しいことであり、「なぜできないの?」と言っても相手を責めるだけで、状況改善にはつながらないことが分かるからです。そういう意味で、相手の「苦手」を知ることが役立つと考えています。つまり、認知症の知識は、相手の世界観をよく知り、相手を尊重してお互いに今までの関係性を維持するためのツールになると思います。


次回は9月10日に公開します
    3