「椅子で人生が変わる」と言ったら、大げさだろうか。でも、椅子を変えただけで、体の緊張がとれ、不随意運動(自分の意志とは関係なくあらわれる運動のこと)がおさえられた人や、表情が豊かになって、言葉が増えた人、寝たきりだったのに、歩行訓練ができるまでに回復した人もいる。座るだけで体を整え、自然と元気になっていくという「魔法の椅子」を生み出す技術とは?
「ちょっと椅子の奥の方に腰掛けてみてもらえますか」。野村寿子さんに促され、座りなおすと、野村さんはこう続けた。「ちょっともたれてみると、頭が軽くなるでしょう。そうすると、顔がゆるむんですよ。そのまま背中を離して伸ばしてもらうと、骨盤が起きてくる。腸腰筋がちゃんと働くから、お腹もすっきりしてくるんですよね」。
当たり前すぎて気づきにくいが、「座ること」は毎日の生活のベースとなる姿勢だ。座位を整えることで、本人も周りの人も驚くほど体が楽になり、生活は快適なものにできる、というのが野村さんの考えだ。発達障害児の支援施設で16年間作業療法士として働いていた野村さんは、依頼を受け、はじめて座位保持装置を作ったとき、衝撃を受けたという。日々の生活の中で椅子に座るだけで自然と座位が保たれ、座り方が劇的に変わった。「椅子で表現して、椅子に『頼むわね』と託して生活してもらうことが、自分がやってきた中で一番効果的な作業療法だったんです」。その経験が、野村さんの今につながっている。
野村さんが作るのは「快適な姿勢を保ちながら、動くことができる椅子」。生活とは、動くこと。だから座る姿勢を維持することが目的でなく、正しい姿勢で座りながら活動することを前提としている。生活のことを考える作業療法士ならではの視点だ。「たとえば、腕を上げやすいようにするには、鎖骨や上腕骨の位置がどこに来たらいいのか、そのために支えはどこまで用意して、腕のラインをどこでカットしたらいいかが見えてくる。生活のこと、モノのこと、人の体のことも知っている作業療法士の強みだと思います」。
椅子の型どりは、特殊な椅子に座らせて、手のひらで骨や筋肉、関節などの状態を確かめながら行う。「たとえばお尻の下に手を入れて、右にすごく圧がかかっている、じゃ痛くないようにしようとか。ここを支えてあげたら深く呼吸できるようになるな、とか。快適にいられる座り方を見つけていく感じです」。つらさを感じる原因はなんなのか。わずか15分ほどで、その人の体から感じ取っていく。
全国を飛び回り、オーダーメイドでつくる椅子や車椅子は、年間300件。ある女の子はどんな椅子もずり落ちてしまい、寝たきりだったが、この椅子で座ることができるようになった。次第に言葉が増え、コミュニケーションも活発に。椅子に座りはじめてから2カ月後には、歩行器で歩く訓練をはじめ、今年の夏は、イルカといっしょに泳いだのだという。「椅子はきっかけ。できないことができるようになると、自信がついて、どんどんみなさん自身の力で変わっていくんです」。
先天的な脊椎不全である「二分脊椎症」で15分も座っていられなかった女性。家に引きこもりがちだったが、座っていられる時間が増えるにつれて、電車に乗って買い物に行ったり、ダンスまではじめたという。「作業療法士は、ある意味魔法使いのような人じゃないといけないと思っていて。マッサージ屋さんって、気持ちよくなかったら二度と来ないですよね。作業療法士も一瞬で生活を変える、それくらいの専門性、プライドを持っていていいんじゃないかと思っています」。
型どりした椅子のカタチを、ウレタン素材で再現していく
もっと多くの人に快適に座ることで、元気になってもらいたいと、オーダーメイドだけでなく一般の人向けのクッションや椅子も開発。海外の展示会にも出展をはじめた。「快適に座るっていうみんなを幸せにするポイントを教えてくれたのは、重い障害を持った人たちなんだっていうことも、伝えていきたいことの1つなんです」。
車椅子選びの際は、座った状態の体を、まず「触ってみる」だけでも効果的だと言う。「車椅子は、ちょっと調整したら、それで自分にあったような気になっちゃうんです。多少のしんどさがあっても『そんなものだ』って我慢して。でもしんどいのが当たり前じゃない、我慢しなくっていいんだよって言いたいですね。骨が押しつけられていたら痛いわけだし、冷たかったら血流が悪いとか。触ってみたら、ある程度わかると思います。そこを見極めた上で車椅子や座位を決めると、ずいぶん違ってきますよ」。「こんなものだ」と諦めずに、「座り」を見直し、「正しい姿勢を保ちながら、動けること」を前提とした車椅子選び、椅子選びが、生活を変えていく。
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