はたらくことは、いきること

「アルコールを飲まない暮らし」を、実感してもらう。

はたらくことはいきること

依存症

久里浜医療センター・杉山和美さんと、患者たち
 飲酒行動がコントロールできず、社会生活に問題が生じ、最終的にはアルコールが身体も蝕んでしまうまで飲酒を続けてしまう「アルコール依存症」。日本ではじめて専門病棟を設置した久里浜医療センターを取材すると、アルコール依存症に悩む患者は、決して特別な存在ではないこと、それだけにアルコール依存症を克服することの難しさがわかる。久里浜医療センターで、アルコール依存症治療の支援をする作業療法士に取材した。

「アルコールを飲まない暮らし」を、実感してもらう。

杉山和美さんは、会話をしながら、一人ひとりの状態を評価もしている。

 久里浜医療センターは、1963(昭和38)年に日本ではじめてアルコール依存症の専門病棟を設置して以来、アルコール依存症治療の草分けとして活動を続けてきた。治療は、おおよそ3か月間のプログラムになっている。最初の1か月は、アルコールでダメージを受けた身体を治療し、普通の暮らしが送れるような体力を回復するための「内科的治療」の時期だ。それが終わると、約2か月のリハビリテーションが行われる。精神科の医師、ケースワーカー、臨床心理士、看護師、作業療法士などがチームを組み、退院後、アルコールに依存せずに暮らしを送ることができるようになるための支援を行う。週2回、午前中の2時間ほどの作業療法の時間には 、患者はセンター内の散歩、陶芸、革細工など各種の活動をして、比較的自由な時間を過ごす。中には、作業療法士と相談した上で、ギターや歌など、自分の趣味や特技を楽しむ人もいる。

 作業療法士は、こうした作業を通じて、①アルコール依存症の離脱症状、たとえば手指のふるえ(振戦)やアルコール性神経障害が起きていないか、②作業遂行能力が低下したり、バランスや歩行に障害があって、日常生活に支障が起きていないか、③認知機能の障害によって記憶や注意力、理解力の低下が起きていたり、そうしたことに適切に対処せず、事態を混乱させてしまっていないか(問題対処・解決能力)などを評価する。また、本人が自分自身をどう評価しているのか、自身のアルコール依存症をどれだけ認識・受容しているのかを確認することも大切だ。こうした確認・評価を通じて、それぞれの回復の段階を知り、それに応じた、関わりの方針を考える。

 また、SST(ソーシャル・スキル・トレーニング/ある場面を演じることなどを通じて、社会や人間関係の中で適切にふるまう方法を身につけるトレーニングのこと)や、アルコールが体に及ぼす影響や依存症についての学習も行う。久里浜医療センターで作業療法士として20年間依存症患者と関わってきた杉山和美さんは「最も大切なことは、アルコールに依存している自分を受け入れることと、『アルコールのない暮らし』を実感し、身につけてもらうこと」なのだという。SSTや依存症についての学習を通じて、患者は依存症についての知識を身につけるだけでなく、依存症である自分を受け入れ、向き合うことになる。また、センター内の散歩や陶芸、革細工、その他趣味の活動は、体力づくりの一環であると同時に、「アルコールのない暮らし」を身につけるために必要なことでもある。

 「入院してくる人の中には、どこかで『自分は依存症ではない』と、自分の病を受け入れていない人も少なくないんです」。自分の依存症を認めなければ、治療することはできない。だからまず、依存症についての知識を身につけ、自分の身体と精神の状態をよく自覚してもらうのだという。しかし知識や自覚だけでは、アルコールへの依存をやめることは難しい。なぜならすでに、依存症患者の生活サイクルの中には、飲酒が組み込まれてしまっているからだ。 一度依存症になってしまうと、仮に「ストレス」や「家庭環境」などといった、アルコールを飲みはじめるようになった原因を取り除くことができたとしても、それだけで飲酒をやめることは難しい。だから、それまで過ごしてきた生活環境からいったん離れ、「アルコールのない暮らし」を実感することで、一度作られてしまった生活サイクルをリセットし、新たな生活サイクルを構築する必要がある。つまり「依存症である自分の受け入れ」と「新しい『アルコールのない暮らし』の構築」は、セットになっている。

 患者の一人であるAさんは、リハビリテーションを受けはじめて2か月目になる。システム系の会社で重要な業務を担当していたが、激務と人間関係の難しさからストレスが溜まり、大量飲酒をするようになってしまった。「一番ひどい時は、わずか2時間でウイスキーを1瓶あけるような飲み方でした。それがおよそ1年続いて、これはまずいな、と」。記憶をなくしたり、物忘れがひどくなったりといったことが続き、危機感を持ったAさんは、自ら久里浜医療センターへの入院を決意した。センターに入って感じたのは、「やはり、自宅で一人ではやめられない」ということ。「原因である職場が近くて、お酒がすぐ手に入る。そんな環境でやめられるほど、甘いものじゃない」。一時は細かく手が震えるなどの離脱症状があったというAさんだが、治療を続ける中で症状もおさまり、アルコールのない生活習慣もすっかり身についた。「でも、以前のままで自宅や会社に戻ったのではダメでしょうね。この暮らしを続けることができないですから。だから退院したら、会社と相談して、勤務環境を改善してもらおうと思っているんです」。

 依存症との、長く続く苦しい戦いを余儀なくされる人もいる。来週センターを退院するというYさんは、これが3回目の入院だという。前回は、半年ほど前に入院したばかり。「2度目の入院のあと、家族と別居することになっちゃって。もう自分も若くないですから、孤独死の不安も出てきてしまって、それでまたすぐお酒に頼るようになってしまったんです」。週2~3回、アルバイトをしていたが、飲酒の影響で出勤時間を守ることができず、勤務態度にも問題があると、解雇されてしまった。そのことがさらに飲酒の習慣を加速させ、気づけば8キロも痩せてしまい体力も低下し、通院していた医師から入院を勧められた。それでも、「お酒を飲んでしまった」と医師に打ち明けることができるようになったことが、それまでとは違うのだという。「以前はお酒を飲んでしまっても、お医者さんには言えなかったんです。打ち明けられるので、少し気が楽になりました」。退院後は地域活動支援センターに通い、作業をしながら再び働けるようになることをめざす。

 作業療法士 は患者の状態を評価し、「飲まない生活」を体験し継続してもらうために、その人にとって一番よい環境を考える。しかし、関わりは間接的なものだし、結果も目に見えるわかりやすい形では出てこない。そこが難しい、と杉山さんは言う。杉山さんは、自分が依存症を治すことができるとは思っていない。治すのは、患者自身だ。「私たちができるのは、『アルコールのない暮らし』を感じてもらうための環境を用意することと、その上で患者さんに寄り添うことだと思っています」。杉山さんとの関わりについて、Aさんはこう話してくれた。「杉山さん達が、ただ見ているだけではないことは、接していればわかります。私は、自分で治すつもりでここに来ている。その気持ちを受け止めた上で見守ってくれている」。

 「もう飲まないからね」といって退院した患者が、ボロボロの身体になって、また入院してくることも珍しくない。「その姿を見ると、自分の無力さを感じることもあります。それでも、もう一度このセンターに来てくれたということは、心のどこかで『このままじゃいけない』『治したい』と思ってくれているということ」。「治りたい」という患者の心を信じて、寄り添う。彼らが再び社会に出るための環境を整える。間接的で遠回りかも知れないが、こうした環境があることが、アルコール依存症患者にとって大きな支えになる。そのことを信じて、杉山さんたち作業療法士は、今日も患者と関わり続ける。

■施設情報
独立行政法人国立病院機構久里浜医療センター
〒239-0841
神奈川県横須賀市野比5−3−1
電話:046-848-1550(代表)