作文をきっかけに「学び」の環境を整える
北海道教育大学札幌校特別支援教育専攻・講師 池田千紗さん
北海道教育大学特別支援教育専攻で講師を務める池田千紗さんは、教員養成のかたわら、札幌近郊の小学校からの相談を受け、作業療法士としての経験や、研究者としての知見を活かし、児童・生徒の学習や教育環境についての相談・支援を行っている。一つの事例を通じて、「学び」の場における作業療法士の役割について見てみたい。
北海道教育大学特別支援教育専攻講師・池田千紗さんのもとに、2015年の夏、ある小学校の先生から相談があった。小学校6年生の生徒が、自閉症スペクトラムによる障害があり、勉強面での遅れはなかったものの、忘れ物が多かったり、授業中に落ち着きがなかったりと、通常学級での学習に課題を抱えていた。この生徒は、通常学級で学習すると同時に、校内の通級指導教室でも学び、また放課後は児童デイサービスに通っていた。相談は、その通級指導教室の先生からのものだった。「最初は、秋の運動会でクラスの出し物として練習していた“よさこい”が、上手にできない。体の動かし方が気になるから、見てほしいと言われたんです」。池田さんが学校を訪れ、その生徒や先生に話を聞いてみると、運動面だけでなく、学習や生活面でも課題を抱えていること、しかもそのことでクラスから「浮いて」しまい、担任からは怒られ、自信をなくしてしまっていることがわかってきた。「翌年の4月からは中学校に進学することになるのですが、お母さんからは、そこで通常学級に進学するのか、それとも、特別支援学級に進学するべきかについても、相談を受けました」。学校でうまくいっていないことは親にも伝わっていて、このまま通常学級に進学させてもいいのだろうか、と迷っている状態だった。
池田さんが作業療法士としてその生徒の評価をしたところ、認知面や運動面などでいくつかの課題が出てきた。しかし全体として見た時、一番の課題は、コミュニケーションがうまく取れない、というところにあることがわかってきた。「友達といても、うまくコミュニケーションが取れないようなんです。お母さんからも、その日に学校で起こったことをしっかりしゃべれないようだ、という話がありました」。池田さんが例として挙げたのが、給食当番の場面だ。手先が不器用なのだが、そのことをうまく友達に伝えることができない。その結果、食べものをよそう時にこぼしてしまったとしても、うまく謝ることも、説明することもできず、そのことで友達に「ふざけている」、「まじめにやっていない」などの誤解が生まれてしまっていたという。
本人に話を聞く中で、池田さんが改善の一歩を踏み出す切り口として注目したのが「作文」だ。池田さんによる初回の評価では、書く文字の大きさがばらついて読みにくいこと、また国語の作文や言葉での表現が苦手であり、友達関係と学校生活の満足度が低下していることがわかった。そこで「書く」という行為を通じて、運動や学習、生活の状況を改善していくような取り組みを考えた。家庭では、池田さんが作成した腕の力を抜いて鉛筆を正確にコントロールする練習課題のホームワークに取り組んでもらった。ホームワークを通して、腕の力の抜き方や正しい姿勢を身に付けること、鉛筆のコントロールが上手になり、自分にとっても他の人にとっても読みやすい字が書けるようになることを目指した。。通級指導教室では文字の練習とあわせて「作文の練習」という形で、コミュニケーションスキルの改善を目的に、いわゆるSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)に取り組んでもらうように提案した。たとえば「時間に遅れてしまった時、待たせてしまった相手に、なにを言えばいい?」といったような、暮らしの中での適切なコミュニケーションの仕方について、事例を通じて具体的に学ぶのがSSTだが、これを作文の中に取り入れ、適切な返答の仕方や、自分の気持ちを伝える方法を、文章を書くことを通じて学んでいった。
このように生徒に関わっていくと同時に、池田さんは、生徒の学習環境も整える必要があると判断し、通級指導教室の先生や、通常学級の担任の先生とも相談をした。特に、通常学級の担任の先生との関係性の改善は、最重要の課題だった。この生徒と、担任の先生とのコミュニケーションがうまくいっていないために、生徒は叱られ、自信をなくし、そのことでコミュニケーションに消極的になってしまう、という悪循環に陥っていたからだ。通常学級の担任には、生徒の特性を説明し、理解してもらうと同時に「本人がわかるまで指示を繰り返す」、「大切なことは板書して、文書で伝える」など、生徒の障害特性に合わせた学習・生活上の配慮をしてもらうようにした。生徒自身とその周囲に対して上記の取り組みを行った結果、生徒は周りにも徐々に受け入れられ、本人も自信を取り戻していった。また、作文の力がつくとともに、自分の気持ちを他者に伝えることにも慣れていったという。
池田さんは「これからは、もっと教育の現場に作業療法士の視点を活かしたい」という。「特別支援学校や特別支援学級だけではなく、通級指導教室や通常学級においても、作業療法士の視点が入ることで、生徒の学習や生活環境は良くなっていくと考えています」。本人だけでなく、学ぶ環境にも働きかける作業療法士の視点が、教育の現場にも活かされることで、より多くの子供達がゆとりある「学びの時間」を過ごすことのできる環境が作られるのだろう。