「違って当たり前」という意識を知った、タイでの経験
渡邊邦夫さん
文化や環境が異なれば、そこで行われる「作業療法」の形も異なる。その「多様性」を知っていることは、日本で作業療法を行う場合にも、貴重だ。タイの大学で作業療法士教育の現場を目にし、体験してきた作業療法士を紹介する。
チェンマイ郊外の地域リハビリテーションセンターで、学生と実習する渡邊さん(写真右)
渡邊邦夫さんは、以前から海外での作業療法の事情を深く知りたいと思っていたという。「上海、スリランカなどに訪問する機会があったのですが、短期の滞在ではなく、長い時間をかけてじっくりとそれぞれの国の事情を見てみたいと考えていました」。そんな中、たまたまJICA(青年海外協力隊)シニアボランティアの募集がかかっていたタイへ行くことを決めた。「ドイツやデンマーク、イギリスなどのリハビリテーション先進国ばかりでは、面白くないと思ったんです(笑)」。専門学校で作業療法を教えていたこともある渡邊さんは、2014年1月から2年間、単身、タイのチェンマイ大学で「教育アシスタント」の職に参加することになった。
「実はタイの作業療法教育は、学校数が少ないだけで日本より進んでいるのではないかと感じていました」。事情を知っている人に話を聞いたり、あるいはネットで調べたりして、作業療法教育のレベルは、日本と比べ劣っているわけではないということを知っていたという。「ですから、こちらから何かを教える、伝えるというのではなく、タイでしかできないことを体験したい、という思いでした」。
チェンマイ大学では、月曜日から金曜日の午前中に実習アシスタントとして勤務し、学生の実習をサポートした。
学生と交流する中で、仕事に対する意識の違いも感じたという。「タイでは職業の流動性が高く、それは作業療法士であっても変わりません。ですから、資格を取っても作業療法士にならず、デザイナーになったり、あるいは自分でビジネスを興す人もいる。社会変動が大きくスピードが速いので、なにか一つの仕事を一生のものにする、という意識が薄いのだと思います」。
渡邊さんは休日になると、機会を捉えてさまざまな現場を訪れた。バンコクにある自立支援センターなど福祉の現場や、あるいは宗教施設が運営する施設などだ。「タイの国教は仏教ですが、他の宗教に対しても寛容です。チェンマイ市内にもヒンズー教、イスラム教、キリスト教などのコミュニティがたくさんあります」。例えば、ハンセン病患者の支援を行っているキリスト教系の施設などがあった。変わったところでは、祈祷師の見学にも行ったという。「タイの人の多くは現代の医学と伝統的な医学をうまく組み合わせて生活しているようです。そこでタイの祈祷師について行って、『祈祷師の弟子』のようなふりをして、山岳民族のコミュニティを訪れ、そこで薬草を使った祈祷の様子なども見学しました」。もちろんこうした経験によって、作業療法の方法が変わる、というわけではない。しかし異なる価値観や文化背景に触れることはとても大切だと、渡邊さんは言う。
「作業療法に<神の手>はありません。万能な、たった一つのやり方はない。異なる人を相手に、異なる環境、異なる文化の中で、その人との関係の中で、一人ひとりにとっての最適を探していく。その時、どれだけの『多様性』を知っているかは、非常に大切なことだと思います」と言う。日本の中でも、北か南か、都市部か山間地かで、環境は全く異なる。もちろん、文化も地域によって異なる。「制度が均質化を生んでいる側面があるため、どこでも同じサービスを提供している気持ちになってしまいがちですが、実際は違う。夏の沖縄で行う作業療法と、冬、雪に閉ざされる山間部での作業療法は、違っていて当たりまえ。そのことに気づき、その場その場に適した作業療法を考えられるかが問われます」。
2016年に帰国し、今は再び大学で教鞭をとる渡邊さん。学生たちには「チャレンジ精神」を持ってもらいたいと言う。「作業療法士は、それで一生安泰の仕事ではない、ということ。少子高齢社会と言われますが、日本の人口は緩やかに減少しておりやがて高齢者も減少していく。資格取得はキャリアの出発点だと考え、そこから自分で道を切り拓いていってほしい。価値観や文化の『多様性』を肌で知ることが、道を切り拓くためのヒントになってくれればいいと思っています」。
学生に、日本の作業療法について講義をすることもある。