私のスタートライン

旅行会社から、作業療法士へ

私のスタートライン

発達支援ルーム ここすてっぷ 西出水・古賀一輝さん
 大学時代、アルバイトでお金を貯め、アジアなど海外のさまざまな国へ、一人旅をしていました。厳しい環境で暮らす子どもたちの姿や、貧富の差を自分の目で見た時に、日本に生まれてきた自分の幸せを強く感じると同時に、こうした貧しい国の人々に対して、なにか支援ができないかという気持ちになりました。

古賀一輝さん

 大学時代、アルバイトでお金を貯め、アジアなど海外のさまざまな国へ、一人旅をしていました。厳しい環境で暮らす子どもたちの姿や、貧富の差を自分の目で見た時に、日本に生まれてきた自分の幸せを強く感じると同時に、こうした貧しい国の人々に対して、なにか支援ができないかという気持ちになりました。そこで海外への支援をしているNGOなどへの就職も考えたのですが、特に専門性を持っていない私にとってはハードルが高く、なかなかチャンスに恵まれませんでした。そんな時、旅行という手段を通じても、国際貢献に携われる可能性があると聞いて、旅行会社に就職することにしました。しかし、実際に勤めてみると、宿泊や交通手段などを組み合わせて旅行代理店にツアーとして販売する、「ツアーの卸売」の仕事で、直接旅行に行くお客さんとのやりとりはなく、人の役に立つことが出来ているか分かりづらかったため、結局3年で退職することになりました。

 次はなにをしよう、と考え、いろいろ調べていた時に、たまたま友人の知人がやっていた作業療法士という職業に、興味がわきました。自分が当初イメージしていた、「海外への支援」とは異なるテーマでしたが、医療と福祉の間で、直接的に人の暮らしを支援する、とてもやりがいのある職業だな、と思いました。それでも、まったく知識も経験もない医療や福祉の分野へと進もう、と最終的に決意したのは、高校時代に父からかけられた「お前は作業療法士に向いているんじゃないか」という言葉が頭のすみに残っていたからかもしれません。英語の塾講師だった父は、デンマークへの留学経験を持つこともあってか、福祉への関心が高く、それで作業療法士についても知っていたのだと思います。高校時代から人と接するのが好きで、ギターで曲を作ったり、工作など、なんでも自分の手で創りだすことが好きだった私の姿を見て、そう思ったのかもしれません。当時の私にはなんのことだかさっぱりわからなかったのですが、その言葉を思い出したこともあって、作業療法士を目指すことに決めました。

 福岡県(柳川)の専門学校の夜間部で勉強しましたが、一生の中でこれほど勉強したことはなかったですね(笑)。もともと知識も経験もない分野でしたし、一度社会人を経験していたので、大学生の頃のような勉強に取り組む感覚を取り戻すことも難しかったです。それでも、夜間部には私のように一度社会に出てから作業療法士を目指そう、という人も多く、また世代も幅広く、さまざまな立場や経歴の人が集まっていましたので、励みになり、刺激にもなりました。

 今は、身体や知的に障害のあるお子さん、障害はないけれど社会性やコミュニケーションに課題を持つお子さんを対象にしたリハビリテーションを行っています。保護者と一緒に、今のお子さんにとって必要なことを考え、それをもとに目標を設定します。実際の作業療法は、遊具や玩具を使い、子どもたちと一緒に遊ぶような感覚で行いますが、その中でもそれぞれの子どもの課題にしっかりと向き合い、それがどのように変化しているのかを見極めることが大切です。「人と向きあい、支援する」という点においては、学生時代にイメージしていた「国際貢献」と通じる部分があると思っています。出会いや偶然が重なって、作業療法士という仕事と出会いましたが、この仕事は私にとって天職だと信じていますし、また天職となるように、これからも努力し続けたいと思っています。

旅行会社から、作業療法士へ

■施設情報
有限会社リハシップ あい 発達支援ルーム ここすてっぷ 西出水
〒899-0216 鹿児島県出水市大野原町1078-2
電話:0996-68-6040