作業療法士は、私の知らないひいおばあちゃんを、知っている。
亀田リハビリテーション病院・佐久間史帆さん
亀田リハビリテーション病院に勤務する作業療法士・佐久間史帆さんに、将来を決定づける転機が訪れたのは、高校生のときだった。曾祖母の訪問リハビリテーションに訪れた作業療法士の「人との向き合い方」を知ったことが、今の佐久間さんにつながっている。
私が作業療法士を目指そうと決意したのは高校2年生の時でした。もともと中学生くらいのころから、漠然と人と関わる仕事に就きたいとは考えていました。その時は、どんな仕事があるのかもあまり知らずに「保育士とか、いいかも」と思っていたんです。その後、自分の気持ちが固まるような出来事が起こりました。一緒に住んでいた曾祖母が、訪問リハビリテーションを受けることになったんです。担当してくださったのが、私が今勤務する亀田リハビリテーション病院と同じグループに属している、作業療法士さんでした。その作業療法士の曾祖母との関わり方が、私の心に深く残りました。
当時、部活が忙しかった私は、家に帰っても曾祖母とあまり話をしませんでした。今にして思えば、照れや、ある種の反発心のようなものがあったのかもしれません。そんな私に、作業療法士さんは「ひいおばあちゃん、今日はこんなことを話してくれたよ」と、長年一緒に住んでいる私が知らないような曾祖母の話をしてくれたのです。「私、きちんとひいおばあちゃんと関わっていなかったな」と気づかされると同時に、作業療法士の「人との向き合い方」に強い感銘を受けました。結局曾祖母は、私が高校2年生の冬に亡くなりました。「もっとしてあげられることがあったかもしれない」という思いが残ったと同時に、作業療法士という仕事に興味が生まれ、高校卒業後は横浜の学校で作業療法士を目指すことにしました。
学校での勉強は大変でした。特に、学校での授業と実習とのギャップに戸惑いました。ある疾患について知識として知っているということと、その疾患に実際に向き合うこととはまるで違いました。同じ疾患でも、その状態は人によってまるで違うことや、対応の仕方もその人その人にあわせて変えないといけないことを実感しました。それでも実習の間は、実習生を見てくださる立場である「スーパーバイザー(実習指導者)」の方がフォローしてくれます。また、その日一日を過ごすことに精一杯で、実習期間が終わった後の患者さんの生活のことまで考える余裕は、ありませんでした。
2016年4月に、亀田リハビリテーション病院に入職し、自分が患者を担当することになった時、実習で経験したことと、入職して自分が患者を担当した時に感じたこととの間に、さらに大きなギャップを感じました。私が担当させていただいたのは、40代の女性でした。主婦の方で、小学生のお子さんがいらっしゃいました。重度の運動まひが残り、特に利き腕である右手は全く動かず、また失語症で、会話もできないような状態でした。その人の生活のことや今後のことを考えると「私にできるのか、私でいいのか」と、大きな不安に襲われました。でも、やるしかない。自分一人ではとてもできることではないと考え、わからないことは周りの人に聞き、アドバイスを受けることを徹底しました。
幸いこの病院には、それぞれに専門領域を持つさまざまな職種のスタッフが働いています。作業療法士として大先輩にあたる上司はもちろん、理学療法士や言語聴覚士など、他のリハビリテーション職の同僚や先輩にもアドバイスをいただきながら、作業療法を進めました。たとえば、失語症があるために、作業療法の最中もコミュニケーションが難しく、指導した動作を理解してもらえているのか、あるいは体が動かしにくいのかわからないため、作業療法の進め方に迷うことがありました。そうしたときには、言語聴覚士と理学療法士と相談し、適切なコミュニケーションの仕方をアドバイスしてもらったりしました。
3ヶ月の作業療法の結果、私がはじめて担当した患者は、車いすでしか移動ができなかったのが杖と装具を使うことで歩行できるようになりました。右腕は麻痺したままでしたが、体の使い方を工夫し、道具を使いこなすことで、料理や洗濯など、基本的な家事もできるようになりました。このことは私にとって大きな経験でしたし、自信につながりました。
ここ亀田リハビリテーション病院は回復期のリハビリテーションを行う病院です。患者の年齢も疾患もさまざまです。またグループ内には急性期リハビリテーションを行う部署や、訪問リハビリテーションを行う部署もあります。これからは、さまざまな領域を体験し、あらゆる経験を深め、総合的な知識と経験を持った作業療法士として成長していきたいです。
■施設情報
医療法人鉄蕉会亀田リハビリテーション病院
〒296-0041 千葉県鴨川市東町975-2
電話:04-7093-2816(代表)